2009年 04月 13日
ルクソールの朝。 ナイル川を眺めながら、中庭で朝ごはん。 小鳥のさえずりが聞こえてきます。のどかな時間。 カイロの南、約600kmにあるルクソールは、昔テーベと呼ばれた中王国、新王国時代の首都として栄えた場所です。クフ王の時代から約1000年後、紀元前1500年〜1000年頃のこと。ナイル川をはさみ、東岸はルクソール神殿やカルナック神殿などがあり、今は市街地として発展しています。西岸は死者の都(ネクロポリス)と呼ばれ、王家の谷や貴族の墓などがあります。 まずは、車で西岸の王家の谷をめざします。 窓から見える風景。 遠くに、ハトシェプスト女王の葬祭殿が見えてきました。 ロバで王家の谷に向かう観光客。 王家の谷に到着しました。 最初に王家の谷の概要を模型で確認します。 現在見つかっている墓は60以上。発見された順にKV1〜60といった番号がつけられています。 かの有名なツタンカーメンの墓はKV62。 透明の樹脂で作られたこの模型。日本人の手によるものだそうです。 地面の下の、墓の構造がわかる仕組み。 見つかっている墓のうち、公開されているのは現在20基ほど。調査や修復のためにCLOSEの墓もあるので、入ることのできるのは10数基です。 1枚のチケットで3基の墓に入ることができます。ただし、ツタンカーメンは別料金! 予習もばっちり、いざカートに乗って出発!と思ったら3分くらいですぐに到着。 テレビや雑誌でよく見ていた景色が目の前に広がります。 それにしても、暑いです。今日の気温は43度!!強い日差しが白い岩肌に反射して、目を開けていられないほどです。そんな中でも発掘作業がすすめられていました。 休憩しながら… 無造作におかれている出土品! ツタンカーメンの継母、ネフェルティティの墓、かも!?ザヒ博士の発掘隊による、世紀の大発見が期待される場所。 ネフェルティティはエジプト3大美人に数えられるひとり。幼いツタンカーメンに代わり、実権をにぎっていた権力者。ということは、ネフェルティティの墓が盗掘されずにそのままの状態で発見されたら… まあちゃんが、ツタンカーメン墓の内部の説明をしてくれます。ガイドさんは中に一緒に入ることはできないのです。炎天下、帽子をかぶっていても地面の照り返しが痛い… 「まあちゃん、日陰でお願い!」 ツタンカーメンの墓は1922年、イギリス人考古学者ハワード・カーターにより発見されました。発見された墓のほとんどが盗掘にあっていた中、そのままの状態で発見された奇跡には、わけがありました。歴代の王の名は、カルナック神殿やセティ1世葬祭殿に王名表としてレリーフが刻まれています。盗掘者や考古学者たちはこの王名表を元に発掘をしていたのです。でもツタンカーメン王の名は残されていなかった。 古代エジプトの最盛期である第18王朝時代に信仰されたいた神はアメン神。ところが、ツタンカーメンの父であるアメンホテプ4世は、力を持ちすぎた神官たちから決別するため、また理想郷をつくるため、都をアマルナに移し、アテン神を唯一の神とする史上初の一神教革命を断行します。そして自らの名をアクエンアテンと改名するのです。ツタンカーメンも生まれたときは“ツタンカーテン”と呼ばれていました。 でも、この宗教改革は結果的に失敗に終わりました。そしてのちにこの宗教改革に関連した王たちの名は歴史から消されてしまったのです。ただ、王名表にその名が刻まれていなかったことが幸いし、盗掘者たちに見つかることなく、3400年前のそのままの姿を私たちに見せてくれることとなったのです。 現在、ツタンカーメン墓には、ツタンカーメンのミイラが展示してあります。かの有名な黄金のマスクや副葬品などはカイロにある考古学博物館に保管、展示されています。 墓の内部はきれいな壁画が色鮮やかに残されていました。3000年以上前のものとは思えない美しさ。墓自体はそれほど広くなくこじんまりしているのは、やはり若くして突然亡くなってしまったからでしょうか。 それから続いて3基のお墓に入りました。 KV14 Tausert/Setnakht、KV15 Sety 2世、KV47 Siptah どのお墓も地表からは想像もつかないほど、地底に長く伸び、その壁面は色鮮やかなヒエログリフや壁画で彩られていました。内部はとても涼しくて快適です。自分が今、砂漠の真下にいることをすっかり忘れてしまうほど。 まあちゃんの解説によれば、壁画の鮮やかな色は、顔料に卵をまぜてつくったものだそうです。卵は水と油を乳化させる働きがあるらしいですね。 お墓の内部を写真に残せないのは残念ですが、やはり実際にあの場所に立って、五感で感じてこそ味わえる感動を、ぜひ現地で! とはいえ、その時はあまりの暑さとまぶしさに、意識は朦朧としていて記憶がところどころ飛んでいます。こうやって日記を書きながら、どのお墓に入ったんだっけと、地図をにらみながら必死で思い返してやっとのこと書き上げた次第。もし暑い時期、王家の谷に行かれることがあったら、帽子はもちろん、サングラスも必携です! ゆっけもここ掘れワンワン。発掘調査中。 次はハトシェプスト女王葬祭殿へ。 ハトシェプスト女王は紀元前1490〜1468年頃の女王。トトメス3世の摂政として実権を握り、やがてみずからファラオを名乗ります。付け髭をつけ、男装をしていたといわれている彼女。その治世は戦争ではなく貿易でエジプトを繁栄させた平和な時代。葬祭殿の壁画にもその様子が描かれています。 ハトシェプストに実権を握られていたトトメス3世は、その後ファラオとして自立し、17回のアジア遠征を行うなど領土を広げ、のちにエジプトのナポレオンと呼ばれるように。そしてハトシェプストを憎んでいたのか、葬祭殿に描かれていたハトシェプストの像や名前をすべて削り取ってしまったのです。 これはハトホル女神です。 ハトホルは、新たな命をはぐくむ生の女神であると同時に、死の女神でもあります。 時には若く美しい恋人、時には慈愛に満ちた母としての姿を見せるハトホル女神は、ある意味、理想的な女性の象徴でもあります。男装の女王であったハトシェプストの葬祭殿にこの女神の礼拝堂がある、なにか特別神聖な場所のように感じます。 ハトシェプストの葬祭殿で、暑さとまぶしさでとうとうダウンしてしまいました。軽い熱中症。しばらく観光を中断して日陰で休ませてもらってから、メムノン巨像を見に行きましたが、頭がまっしろでほとんど記憶なし。。。 いったん、ルクソールの市街地にもどり、お昼ご飯を食べることにしました。メニューはエジプトの名物料理、鳩の丸焼き、ハマム。 St.Georgeホテルのイタリアンレストランで頂きました。 メインよりも美味しかった!のが、前菜の冷製トマトスープ。すーっと体に染みこんでいく感じ。一気に元気を取り戻しました。 ランチの途中、まあちゃんに一本の電話がかかってきました。 いつもは大声で、まるで怒っているかのように聞こえるエジプト人の会話。なのに、急に小声になって、こころなしか背中を丸めて小さくなって会話しています。そして携帯電話を私に渡すのです。 「カズコサンカラ、オデンワデス。」 ん?かずこさんってだれ? 電話の相手は、カイロに到着した夜、不安いっぱいでヘルプコールした方でした。どうやらかずこさんは、まあちゃんの旅行会社の社長さんらしく、初日に迷惑をかけたので、ツアースケジュールにない場所で行きたいところがあれば案内させますので、とお電話くださったのでした。 どうりで、まあちゃんの声がちっちゃくなるはずだ。たぶん社長さんに怒られちゃったんだね。 そして。 ルクソールでどうしてもやりたかったこと、をお願いしてみました。 それは気球に乗って、ナイル川や、街や、遺跡を空から眺めること。 では明日の朝、気球に乗れるかどうか手配してみます、とのお返事。 しばらくしてかずこさんからお電話をいただきました。 「明日の朝、バルーンツアーを手配しました。ホテルに車がピックアップしに行きますが、トラブルが多いので、ちゃんと車に乗れるように、うちのガイド(まあちゃんのこと)を付き添わせますので。」 ピックアップは朝の5時半。ほんとならゆっくり寝ていられるところなのに、ごめんね、まあちゃん。 お金を払ってでも乗りたかったバルーン。ひとり90ドルもするのに、ただで乗れることになっちゃった。災い転じて福となす!ラッキー★ さっきまでの体調不良はどこへやら。おいしいランチとラッキーなできごとに、すっかり気をよくして次の観光地、東岸のカルナック神殿へ。 カルナック神殿は紀元前1600年頃より、2000年にも渡り増改築が繰り返されてきた、巨大な神殿。 スフィンクスが並ぶ大参道、大きな塔門、大列柱室、天高くそびえるオベリスク… 何もかもスケールが大きくて圧倒されます。 羊頭のスフィンクスが並ぶ参道。昔は3kmに渡って続いていたそうです。 これは中庭にあったツタンカーメンのスフィンクス。 そして、第二塔門を抜けた先に、ラメセス2世が作った大列柱室。高さ20メートル、134本の柱が立ち並ぶ様は圧巻としかいいようがありません。右を見ても左を見ても上を見ても、柱、柱、柱。 神殿の中は、石の放つ力なのでしょうか、空気が澄んでいるような気がします。大きな柱の下に座っていると、時間がゆったりと流れて、不思議とこころが落ち着きます。一日中、ここでのんびりしていたい。 当時は天井もあり、その上に神官が住んでいたとか。 彩色も残っています。 レリーフの仕様もいろいろ。時代によって違うのでしょうか。 大列柱室を抜け、第三塔門の先にはトトメス1世のオベリスク。 ミイラ台でのお約束。この旅3回目。ゆっけぐるみミイラに。 次はルクソール神殿へ。 ルクソール神殿は、カルナック神殿の付属神殿として作られたもので、カルナック神殿に比べて少し小さめ。 そして、ここにもラムセス2世! ここで見たかったのが、ツタンカーメンとその妻アンケセナーメンの像。 後ろにまわると、アンケセナーメンの手がツタンカーメンの背中に。このふたりの像は仲むつまじい姿のものが多いのです。幼くして王の座についたツタンカーメンとアンケセナーメンはお飾りも同然。大人たちの権力争いに翻弄されながらも、ふたりは愛をはぐくんでいたのでしょう。 ツタンカーメンの像。 いろいろなファラオの像がありますが、お顔を見れば誰の像がだんだんわかるようになってきました。どのファラオも神格化されて同じ顔になっているのではなく、ちゃんと個人を再現しているように思えます。ツタンカーメンは男前だ! 神殿の一角になぜかモスクが。まあちゃんの解説によると、このモスクが建設された当時、ルクソール神殿は砂に埋もれていて、その存在に気づいていなかったとのこと。建てた後で、その下に遺跡が発掘されたのです。でも今では遺跡の一部のように融合しています。長い歴史を感じます。 歴史を感じるといえば。 ヒエログリフの上から描かれたキリスト教の壁画もありました。キリスト教が入ってきた当時、ここは教会としても使われていたのです。 ある部屋はのちに、屠殺場として使われていました。壁に残る黒いしみは動物たちの血。 今日の観光はここまで。 ホテルに戻って夕食です。 ルクソールでのホテルはリゾート感あふれる造りのシュタイゲンベルガー・ナイル・パレス。最高級ランクのホテルですが、親しみやすいというか、田舎な感じというか…肩肘はらず滞在できる感じです。ヨーロッパの方が多く宿泊されています。暑い日中は観光などせず、ホテルでゆっくりというスタイルなのでしょう、プールも大賑わい。 明日の午後は自由行動なので、プールに入ってのんびりしよう。 ホテルの部屋からのナイルビュー。 夕食はホテルのビュッフェ。 おじさんがバイオリンを弾きながらテーブルをまわっています。なぜかひたすらゴッドファーザー愛のテーマ。 これはビレルというノンアルコールビール。発泡酒なんてビールじゃないというほど、ビールが大好きな旦那様がビールと間違えた飲みもの。 エジプトという国に、酔っているのでしょう、きっと。 毎日が刺激的すぎます。 シュタイゲンベルガー・ナイル・パレス(ニール・バラス) Shaari' Khalid lbn Walid tel (095)2366999 http://www.steigenberger.com S 170〜200US$ W 220〜250US$ 5日目 エジプトの空〜気球に乗る は こちらから 1日目 カイロ着!? は こちらから 2日目 美しいアレキサンドリア は こちらから 3日目 ピラミッド三昧 は こちらから
by dogstreet-mario
| 2009-04-13 00:00
| 4日目 ファラオが眠る王家の谷
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